四の章  北颪
きたおろし (お侍 extra)
 




    外伝  昔がたり



        




 数十年もという長きにわたっている大戦は、その始まりこそ陣地の取り合いだか恒久的なエネルギー源の取り合いだかだったらしかったが。もはや…どっちが最後に叩いて終わるかという鳧をつけたいがためのものじゃあなかろうかとする、早い話が泥沼の様相を呈してもおり。あまりに広範な地域に散開している戦線は、規模と苛烈さで目が眩みそうになるほどもの大きなものから、ここを死守することにどういう意味がある作戦なのか、直接配備された者にはさっぱり判らないものまでと千差万別。どれを取っても戦さには違いなく、軽微なものは1つもないはずと判っちゃあいるが、それはむしろ自分への慰めで。他にやりようがあるのではと思われる愚策へ付き合わされる兵卒ほど、空しくも悲しい身はなくて。そんな代物で一つしかない命を失うなんてとんでもないが、さりとて 逆らえば軍法会議にかけられた末、味方から処刑されるが関の山。そうまで逃れられない指令なら、せめて細かいところへ手を入れて、愚策でなくすればいいだけのことと。指令という名を借りての嫌がらせか、それとももっと過激に敵の手を借りての謀殺かと思えるほどの、危険無謀な先鋒部隊に割り振られた出撃、有能な部署であったにもかかわらず、島田率いる空挺部隊に下知されることが多々あって。だってのに必ず戦功を挙げて帰還するものだから、難関であればあるほどに不敗伝説も増えての、却ってその格を上げていただいているようなもの。とはいえ、

 “こたびのこれは酷すぎる。”

 規模も火力も小さくはない本格的な敵陣営へ深々と侵攻し、先鋒としてただ一隊のみにて切り込んでの橋頭堡を設けて来よというのだから、正気の沙汰とは思えない。岩屋を黙々と徒歩で進む地上戦への割り振りもまた、彼ら本来の戦いようへは勝手が違うというもので。だが、
『穹へと飛び立ち、そのままそこに浮かぶ戦艦を永の寝床にする、連戦続きの激戦区に比べれば。終えればそのまま基地へと戻れる身の有り難さ。』
 わざわざ指名した我へ礼を言ってほしいほどだとまで嘯
(うそぶ)いたらしい司令部の誰某は、長年 勘兵衛相手にあの手この手の嫌がらせをし続けて来た上官でもあったらしく。負ければ自分だって先々でただでは済まぬ戦さにて、どうしてそのような…他者の足を引っ張るような真似が出来るのか。逼迫してはいない部署にいると、戦さの凄惨さへの現実味が薄くもなるのだと、そんな不条理を身を持って知った七郎次でもあったのだけれど。

 「…わっ☆」

 夜営地となった岩棚の一角。暖を取るには乏しいが、それでもと火を焚いたその縁に、ぼんやりと腰を下ろしていた七郎次の髪を、通りすがりに大きな御手の指立てて、掻き混ぜていったお人があって。短くすると手入れが面倒、それならばと部隊長を真似ての伸ばしているものの。まだ前髪が不揃いなため、くしゃりとされればあっと言う間に額が隠れ、頬にもわずかに横鬢を隠す後れ毛が落ちる。そうなると一気にお顔の線の細さが露呈して、ただでさえまだまだ学生の名残りが抜けぬ、若々しい青さが強調されてしまうというに。これもまた背伸びの一環か、きりと表情を鋭くさせたくての整えを、知っていながら、だのに いとも容易く崩してしまわれるお方と言えば、
「勘兵衛様〜〜〜っ。」
「許せ、つい手が出る。」
 辺りに垂れ込める夜陰へ何とも映える色合いだからなと。そちらは深色の豊かな蓬髪を馴染ませて、司令官用の天幕へと向かっておいでの、すたすたゆかれる歩みを止めもしないままに応じる隊長殿へ。童子
(わらし)の悪戯ですかと、周囲に居合わせた古参の兵たちがくつくつ笑い、掻き乱された頭を両の手で覆った当の副官が、もうもうと不機嫌そうに立ち上がっての、それでもそんな司令官殿の後へと続く。方面司令部からの定期的な無線連絡を、少し先の開けたところにて受信していた彼であり。地形図によればそろそろ敵陣営の索敵部隊あたりと接触しかねぬ間合い。先鋒とはいえさしたる頭数もない部隊なだけに、奇襲で制覇するしかなかろうから、夜討ち朝駆け、どっちにしたって敵の配置への情報は必須の要素。とはいえ、

 「…通信がつながらなかったのですか?」

 地形図やら戦略図、隊員らの運営表やらを広げた簡易の机へは見向きもせず、衣類を積んで築いた寝床へどさりと腰を下ろされた隊長殿へ。後から続いた天幕の入り口、後ろ手に掻き合わせつつ、七郎次が低い声で尋ねれば、

 「…いい月夜なだけに、電波も寄り道しておるらしゅうてな。」

 今に始まったことでなしと、殊更に悲観しての態度は微塵も見せぬ勘兵衛であり。憂鬱そうな溜息をつくでなし失意に肩を落とすでなし。ただ、それこそ…果たしてランプ1つという天幕内の暗さのせいでのことだろか。彫の深いその精悍な面差しに、いくらかは疲労の影も見えなくは無くて。一旦戦端が開かれてしまえば、そうそう後戻りは利かない位置に我らはいる。しかも、敵襲の圧力が厚く、拮抗かなわぬと司令部が見切ったその途端、この部隊はそのまま敵陣の懐ろの中へ置き去りにされる。作戦上の効率をかんがみたもの、よっての非情な対処というなら致し方がないけれど。私怨のからんだ思惑あってのものだとしたら、それこそ味方に殺されるようなもの。自身はともかく部下らにまでむざむざと巻き添えを食わせる訳にも行くまいと、それを思うと多少は気が重くもなる勘兵衛であるのだろうが、

 「ま、此処まで踏み入ったれば、
  本営からの知らせより直に見た方が早いのかも知れぬしな。」

 ぽんと両の膝を叩いて見せて、そのような豪気な言いようをし、視線とともに上げられたお顔は今度こそ。額を覆う鉢当ての陰さえ、その野趣を濃くするためのもの。いかにも雄々しく頼もしい、歴戦の隊長殿の貌であり。そんなお顔に励まされ、我知らず強ばっていたものか、七郎次もまた肩からの力みがすぅと下りたところで。
「勘兵衛様?」
 再び立ち上がられたので、どちらへ?と目顔で問えば、
「そろそろ火の番の交替だろう。」
「そんな…っ。」
 事もなげに口にされ、まだ細っこい身の新米副官の傍らを擦り抜けがてら、天幕の垂れ蓋を大きな手の甲にて軽く跳ね上げての掻き上げると、とっとと出て行かれる隊長の。くすんで褪めた白いマントの裾を追い、こちらも踵を返す七郎次。大きな背中が元来た方へずんずんと進むのへ向けて、
「そんな番は私が…。」
 いくら頭数が知れている部隊だからとはいえ、隊長殿が負う役ではございませぬと、引き留めようとするものの、
「そうと言うておって、なのにうたた寝をしてしまい、危うく焚き火の上へ転がりそうになっておったのはどこのどいつだ。」
「う…。///////」
 数日前の誰かさんの失態を引き合いに出されてから、あの頃合いはまだまだ麓もいいところという位置だったから、騒ぎになったとて問題はなかったけれど、
「今宵のこの場所ではそうも言うておれんしの。」
「勘兵衛様〜。///////」
 二人のやり取りへ、再び周囲から微かな笑い声が上がる。こういった作戦行動に出てみて初めて判ったことだったが、どうで小さな所帯ゆえ、隊長などとは名ばかりということか、見張りや装備の荷割りも平等に、何でもこなされる勘兵衛であり。周囲もまた、それを強引に制しまではしない。食事の支度や天幕の修繕などという、不器用が過ぎてはこなせぬ手仕事はさすがに止めるが、火の番ならその範疇ではないものだから、
「それでは、のちの四刻まで。」
「ああ。」
 焚き火の傍らにいた最古参だろう屈強な練達二人が揃って立ち上がったのへ、うむと頷き、入れ替わるように椅子代わりの丸太へ腰掛ける。そんな勘兵衛を任せたと言いたいか、仔犬のようにちょこまか追って来た副官へ、にんまり笑った双璧のお二人。日頃からも、まだまだ至らぬ新米の彼を“頑張りなされ”という方向にて支持しての、可愛がって下さっているけれど、

 “今日ばかりは私に代わって制してほしかったような…。”

 それでなくとも連日の進軍という強行軍がもう半月以上も続いており。若さだけが取り柄な自分は、体力はあっても配分が下手なのか、毎日毎日どっぷり疲れてしまい、静まり返った夜陰の中に身を置くと、ついついあっと言う間に睡魔に取り込まれる情けなさ。それを挽回しようと、回復したのをいいことに昼間張り切るからまたぞろ…という悪循環はもはや定番化しつつあり、

 “まあ、夜寒の中なら多少はマシかも。”

 それとて完全防寒とまではいかないが、風くらいなら防げる天幕の内でない、一応は外套仕立てとはいえ、軍服装備のみにての吹きっさらしの火の番ならば、うっかり居眠ってしまうということは…
「〜〜〜。//////」
 先日やっぱりうたた寝をしたと、さっきその話が出たばかりではなかったか。うぬむにと自分の不甲斐なさへ口元を歪めておれば、
「そんなところへ突っ立っておらずに、とっとと座れ。」
「あ、は・はいっ!」
 かけられた声は静かなそれであり。なのに不意を突かれたせいで、ついのこととて大声での返事をしたところ、
「〜〜〜。」
 すぐ間近へ見下ろしていた頼もしい肩が、マントの下で震えているのが察せられ。その肩へとかかる濃い色の髪の縁もまた震えているということは、

 「〜〜〜。////////」

 ああまただ。自分のやらかした失態やら剽げへ笑っておいでだと、さすがにもうもう読み取れるようになってもいて。第一印象は恐持てがして見えたのにね。重厚で男臭くて、これが幾多の死地を乗り越えた軍人というものかと、屈強にして骨太な精悍さへ、滅多に物おじしないこの自分が、すっかりと飲まれてしまったというのに。執務が始まると、意外にも穏やかで優しいお人だというのがすぐにも判った。まま、支部本拠となっていた基地自体は、前線の戦さ場ではないのだから、ぴりぴり殺気だっていても詮無きこと。日頃から揮発性が高い人性である必要はないのだが、それにしたって…決済書類各種と向かい合う部隊長殿は、時として朴訥な空気さえはらんでの物静かなお方に他ならず、その端々で他の隊員の方々へと引き合わせて下さりの、部署や辞令による書類の分類や何やお教え下さりのと、あれこれ手づから構い続けて下さって。
『一番の年少だが、これでも副官だ。それなり引き回してやってくれ。』
『勘兵衛様…。//////』
 そんな引き合わせ方がありますかと、真っ赤になる可愛げが、皆へも彼をすんなりと馴染ませて、もうどのくらいの日が経ったものだろか。そんな中、勘兵衛様の側からもまた、この、顔だけ見ておればどこの貴公子かはたまた上臈かという美貌の青年が、実は実は思いの外に気が短い跳ねっ返りであることだとか、そのくせして どんなに小さくともゴキブリが大の苦手だとか。そんな面白い側面を発見なさるたび、くつくつと楽しそうに笑ってしまわれる。面と向かって笑っては気の毒だと思うのか、一応は堪えて下さるのだが、その隠しようがまた、あんまりお上手ではないものだから、

 “む〜〜〜。////////”

 恥ずかしさもあってのこと、当初は大層居たたまれなかったものだったが、慣れてしまえばそれもまた、お互い様な愛嬌の応酬のようなもの。
「ええ、ええ。好きなだけお笑い下さいませ。」
 畏れ多くも直属の上官相手に、ツンとそっぽを向きながら。向かい側のやはり椅子代わりの丸太へ向かいかかった副官殿の、二の腕を素早く捕まえたは、黒い軍用手套に包まれた大ぶりの手。え?と振り返った七郎次を、ぐいと引いての彼ごと倒れ込んで来たのを、そのお膝と懐ろへと受け止めてしまわれ、
「わわっ!」
 何事かと驚きふためく副官の口許、大きな手のひらにて蓋して塞ぐと、

 「四刻までとは言わぬ。そうさな、二刻まで、先に寝ておれ。」
 「え…と?」

 後ずさりするような形で丁度尻から倒れ込んだ身を軽々と、堅い腕にてくるみ込んでのマントの中へ。赤子でも抱くかのように見下ろして、ついと伸ばした手の指先で、こちらの着ているタートルセーターの、襟元をちょいと引っ張ると、上へ引き上げ、細い顎先へと引っかけて下さる。風がある夜は埃で喉を傷めるからと、風防巾の代わりにせよと言われてはいたが、
「あ…。///////」
 まさかまさか、手づから構って下さろうとは。後から訊いた話で、あんまり人へと関心を示さず、手をかけてまでと構けることなぞせぬお人。とはいえ、

 “手慣れておいでだよな…。”

 その頃はそんなことなぞ全く知らなかったものだから。人を育てるのが得手なお人は、こうまでコツを心得てなさるものかと。いかにも大人の男性という精悍な匂いにくるまれて、軍服越しの堅い懐ろに頬を寄せれば、安堵の度合いもいや増して。それはすんなり、睡魔に誘
(いざ)われての眠りの底へと、落ちてしまっていた副官殿であったりし。昼間の内の疲労もあろうが、それより何よりそれだけの信頼を寄せてくれてのことだろうと思えば、

 「…他愛ない。」

 部隊長殿の口から、思わずの呟きがこぼれ出る。焚き火の炎のみの明るさの中、懐ろから覗くは稚い寝顔の白とそれから、枕代わりにと添えてやった腕の上、僅かばかり散らばった金の髪。自分にもこの彼のような年頃の時期はあったのだろうが、こうまで屈託がなく、それでいて真摯であったかどうか、全くの思い出せなくて。
“まま、混乱期でもあったことだし。”
 さすがに初期のころとまでの年寄りではなかったが、それでも自分が参戦したばかりの頃はまだ、こちらの軍勢の勝利の報があるごとに、心からの歓喜に叫ぶ人々が当たり前にいたものだのに。この彼が生まれた頃には既にもう、常態化していたこの大戦。時にどちらかが圧倒的に優勢になる戦域があったとしても、別な地域ではその逆なのも珍しいことではなくて。一体いつになったら終焉を迎えることなやら、
“もはや誰にも判りはすまいて。”
 それを決めるのだろ、ずっとずっと頭上の遥か彼方におわす方々の思惑なんて、判らないし知ったことじゃあない。そんな彼岸の話になぞ関心を寄せるだけ無駄だとばかり、間近な懐ろで他愛なくも寝息を刻む存在へと意識を戻す。自分への補佐というお役目を徹底しようとしてのこと、何処へでもついて回る存在が出来たのは一体何年振りのことだろか。先の副官が亡くなって以降、こんな自分なんぞのために一つしかない命を使わさせたくはなくてのそれで、何年もの間、所謂“独り身”を通して来たのだけれど。

 『何も伴侶
(ともづれ)にせよと言うのでなし。』

 既に好々爺の域に入られた某大将閣下は気楽に仰せだが、そうはいかないと頑迷にも固辞し続けて来たこと。こたびは策あっての成り行きから引き受けたものの、もしやしてその策とやら、搦め捕る相手の中には この自分も入っていたのやも知れぬと、今頃になって勘ぐってしまっている勘兵衛であり。それほどまでにこの温み、離し難い重みを伴っての愛おしく。

 “他愛ないのは我も同じ、か。”

 冴え冴えと頭上におわす月影へ、どうしたものかと視線を投げて。パチパチとはぜる焚き火の炎群の呟きのみを連れとして、静かな夜陰に身を置く、今だけは孤高の部隊長殿であったりした。





 気持ちよくぬるま湯につかっているところを、力づくの無理から引っ張り出されたような気がして。次に感じたのは、入隊を祝った酒を飲んだときのほろ酔いと似た感覚、体の重心が定まらず、体がなかなか持ち上がらなくて往生させられる。そんな自分を起こした声が、頭の上から続いて聞こえ、
「…じ、七郎次。目が覚めたか?」
「あ、ははは・はいっ。」
 しまった寝過ごしたかと、眠る寸前に交わした約束を思い出し、両手で挟んだ自分の頬を音が出るほどパチンと叩けば。それを間近に見やっておいでの勘兵衛様、どこか微笑ましげに目許を細めてしまわれたものの、

 「…判るか?」

 声を殊更低くされ、そうと訊かれた真意は…すぐさま伝わっての、今度こそ。うら若き副官殿の目許や意識から、寝汚い睡魔をすっかりと追い出した。耳をすませよとの勘兵衛様の示された意識へ自身の感覚を添わせれば、静謐なはずの夜陰の中に、星の囁きに間近いレベルのそれながら、でも確かに何かの気配がしているのが拾えて。
「…敵襲、でしょうか。」
「少なくとも単なる索敵にこうまでの人員は割くまいよ。」
 単なる見回りや哨戒のための陣容の厚さではないのが、まだ遠いのにまざまざと判る。ここに怪しい気配があると、それを目指しての進軍であるからこその装備と頭数。そういう順番であると見越して間違いはないと、勘兵衛は断じたらしく。

 「儂はこのまま正面の一団を食い止めにゆく。」

 そのお膝から身を起こした七郎次が見上げる先で、外して膝元へ添わせておいでだった愛用の大太刀、立ち上がりながら腰へと鞘ごと差し入れてしまわれ、ホルダーの留め具を装備なさる。そんな手際を見やって、
「私も。」
 こちらさんもまた、勇んでの立ち上がった七郎次であったものの、
「…いや。お主はまず、皆を叩き起こしてはくれまいか。」
 時折吹きつける夜風になぶられ、背中へかかる蓬髪がたなびき、肩から下がったマントが揺れる。焚き火からの僅かな明かりの下であれ、毅然とした表情は冴えて凛々しく、伸ばされた背条の強さはそれは雄々しく。そんなお人から“よしか?”と訊かれれば、無意識のうち、こっくり頷きもしようというもので。

 「こちらの指揮采配は、征樹と良親に任せ、それから…。」
 「それからならば、勘兵衛様を追ってもよろしいのですね?」

 皆まで言わさずと勢い込んでの言いようへ、ああと頷き、にこりと笑う。親を慕ってその後を追ってゆくとでも言っているかのような、何とも稚い言いようが、日頃の彼の懸命さへとかぶさって、妙に似合って聞こえたからで。とはいえ、
「では。」
 後にまみえようぞとは余計な一言。故にわざわざ言わず、若いのへ背を向けて駆け出した御主であり、
“勘兵衛様…。”
 遠い殺気に気を澄まし、状況とすべきことを言い置いてから疾風のように飛び出して行った御主の背中は、あっと言う間に夜陰へと溶けた。余韻にひたっているのも許されぬまま、まずはと皆の天幕を片っ端から訪のうては、

 「起きてください、奇襲ですっ!」
 「皆様、武装をっ! 敵襲ですっ!」

 先輩諸氏らを起こして回った七郎次へ。ややもすれば、皆もさすがは歴戦のもののふ、あっと言う間に起き出して来、装備を固めにと荷の天幕へ急ぎ始めるから、機動力の俊敏なこと素晴らしく。そんな中にあって、
「ここは我らに任されよっ。」
「副官殿は勘兵衛様をっ!」
 先程 隊長殿が名指しした、隊で一、二の練達二人、島田部隊の双璧がそろってお声をかけて下さり、
「お願い致しますっ!」
 後を任せての、意識を転じて。先んじて飛び出してった勘兵衛を追ったは、さして刻も経ってはない間合いのうち。こちらの夜営地を柵の代わりとなって隠し得ていた、背の高い芒種の草むらへ弾丸のようになって飛び込むと、寸の高い草むらを掻き分け掻き分け駆け抜けて。そこから出ると今度は冷たい夜露をまとった下生えを蹴散らかしながら、山の斜面を上るように走り続ける。今だけは故意に残して行ったのだろう、僅かだが先を行った人の痕跡が月の光に照らされて見て取れたので、そこをそのまま追うように続きつつ、得物の槍を体の横手で、勢いつけてぶんと振れば。仕込みの穂先、冷たい刃が月光を滴らせて しゃきりと飛び出す。棒術も会得してはいるけれど、刀も振るえはするけれど、やはりの得手は槍術で。単に長い間合いに相手を飛び込ませねば有利というだけの代物ではなく、柄の持ちようを変えれば長さも威力も自在だし、切っ先のみならず、末端にあたる石突きの側ででも、必殺の一撃を繰り出せる、正に千変万化な武具をその器用さから選んだ七郎次であり。

 「…っ!」

 行く手へ開けるは、木立に縁取られた草っ原。そこへと飛び出しがてら、片手でぐるんと大きく回した槍をば、そのまま盾にし、まだこちらの参戦には気づいていなかったクチを二人ほど、右へ左へ薙ぎ倒す。意識した訳ではなかったが、石突きの方で伸したので、刃の切っ先を取られるというブレーキはかからず。よってのそのまま、大人数が切り結びを展開している乱闘の輪の中へ。力任せの強引さに加え、隙間へするりとすべり込む巧みさで、みっちり隙なく居並んだ桶の箍を引きはがすように、外側からの一層ずつ片付けてゆく手際のよさよ。
「く…っ。」
 こちらに背を向けた兵士の、向こう側へと向け、大きく振りかぶられた刀の切っ先を。向背から穂先で押さえての引き倒し、そこを突破口にして切っ先をねじ入れて突き進む。どけどけどけと刃で突き、石突きで突き、ようやっとこっちの乱入へ気づいた面々が、思わぬ方向から撫で切られるのを避けんがため、道を開いて下さったのへと乗じて、今しも大刀を振り切りかけてた大男の、脾腹を横合いから斬りつけてやっての横合いへと薙ぎ払えば。やっと視界が完全に空いて、さっき見送った背中とのやっとの再会。敵兵を力任せに押しやった反動をば利用して、入れ替わるよにその背後へと、背中合わせになるように立ってみせれば、

 「来たな、七郎次。」

 気配だけで察したか、肩越し、声だけを掛けて下さる信頼が殊更に嬉しい。まさかに待っておられた訳ではないのだろうが、女子供が飛び込んで来たかのように、庇うようには構えないそれだけで、ああ対等と認められたと胸が震えるというもの。御主のまといし白いマントを背に負うて立つ、こちらは金絲の髪をした北軍の若造が現れて。小ぶりな双手でぐるりと回した槍の穂が、月光に舐め上げられての、妖しく光って幻惑される。
「てぇいっ、敵はたったの二人ぞっ!」
「手早く畳んで進軍せいっ!」
 相手に地の利があったとて、岩肌に添うよな足場の悪い場所を経由となるはお互い様で。それだけに、相手もまた、一つところに大勢を繰り出せはすまい。ここへと殺到して来たは、部隊にして小連隊か。鋼筒や跳兎跳なぞの機巧躯はいないようだが、勘兵衛が既に結構な数を叩き伏せてもいように、それでもこれほど、二人を取り巻き直しての360度をびっしりと、かざした刃で壁を作っての埋め尽くす人海戦術の厚みは半端じゃあない。とはいえど、

 「哈っ!」

 片やの白マントの士官は、随分と修羅場に慣れているものか。最初の単独行の時点から、余裕の体さばきもなめらかに、自身の大太刀を繰り出す姿が、敵ながらも精悍にして力強く。腕の尋を延ばし切っても、刀さばきにはさしたる影響を出さないその上、それは軽やかに踏み出し踏み込み、引っ切りなしに振り下ろされる切っ先を余さず払い飛ばすという、練達のただならぬ妙技にあっては、一閃ごとに数人が一気に撫で切られての戦意を削がれ、尻込みをし始めてもおり。そこへと加わった新手がまた、

 「呀っ!」

 まだまだ薄い肩をしていながらも、体の前にて勇ましくも構えた槍を、今は中程を両手で掲げて、両端をどうでも延ばせる間合いに構えての威嚇を見せており。相方が大柄で屈強な大人であるからの対比、ちょっぴり線が細い体躯に添わされた若さがまた、粗削りな未完成さを想起させるのではあるが。とはいえ、今まで大暴れしていたこちらの達人が、待ち兼ねたぞと迎えた手合い。どれほどの凄腕かと思えばそれもまた、油断してはならぬ相手かもと、既に撹乱されている敵陣の顔触れであり。
「…っ!」
 古めかしい意匠の大太刀を、大きくて重さもある手が掴みしめてのぶんと振り、旋風を起こしながらの一閃が、前列の一団を衒いなく切り払う。剣圧に押されて、触れてはいないクチまでもが軽々と押しやられた反動で、詰め掛けていた後陣が押されてのワッとたたらを踏めば。それを追っての勘兵衛が踏みいで。先に流した刃を返し、胸元へと引き寄せてのむんと念じを込め始め、
「超振動か?!」
「こやつ、もしや空軍の斬艦刀部隊の者ではないのか?」
 地上部隊に練達がいないとは言わないが、ここまでの軽やかな立ち回りに加えて、刀身へ体内活性の螺旋を連動させての、物質破砕を導くまでの振動を与える技は、天穹を軽々と翔るほどもの練達が集いし、斬艦刀部隊で生まれた奇跡の大技。
「させるか!」
 何の、念じて集中する間合いを妨げればいいだけのことと、果敢にも突っ込んで来た輩の切っ先は、

  ―― 股分かれした穂先の狭間で、がきりと咬ませて捕まえて

 その力押しを巧みに受け流し、ついと脇へ逸らさせてしまう、若いのの妙技が小憎らしい。恐らくは供の者だろ御主から、数歩分ほど離れての、だが。今度は頭上で旋回させし槍の切っ先が、降り落ちる月光を目映く弾きつつ、彼らへの接近を気概ごとぐいと後ずさりさせたその刹那、

  きぃいいぃぃぃぃんんんっ、という、

 細く始まってやがては鋭くいななく金属音が、沸き出すように響いての広がって。噂には聞くが見た者はわずか。耳にして生き残れた者は数えるほどという必殺の、生身の身から放たれる奇跡の波動が、居合わせた兵らの得物を共鳴させてのがちがちと震わせ始め、
「な…っ!」
「これはっ!?」
 思わぬ事態に身がすくんだらしい、最前列の手合いの一群を、先程と変わらぬ一閃にて横に薙いだ勘兵衛だったが、

  ―― 触れた端から、鋼が砕ける

 そんな破天荒な現象を、自らの手の中という間近に見た兵卒たちは。揃って凍りついてしまってのそれから、自分の手から文字通り擦り抜けて消えた得物だという信じがたい事実に眸を白黒させ、そして、

 「ひ、ひいぃいぃぃぃっ!」
 「た、助けてくれっ!」

 ただでさえ、たった一人で何十人もを平然と相手にしていた、途轍もない練達が相手の対峙で、しかも丸腰となってしまってはもはや敵うはずがなく。その上、このような恐ろしい魔咒を披露されては、月夜の幻と浮かれる者なぞ一人だっていはしない。今にも抜けそうになる腰を励まし励まし、いち早く逃げ出した者は命を大切にした親孝行と見ての追わずにいてやり。自暴自棄だろか脇差を抜いてのまだ向かってくる命知らずへとだけ…真っ向からの刺すような眼差しを、強い眼光はらませての向けた御主だったこと。依然として背中を向けたままだった七郎次にも、重々しい気配と共に伝わって来ており、

  「何のための一太刀か、お主ら、覚悟があってのことか?」

 吹きつける夜陰の風籟さえ圧倒し、低く響いて深い味ある、いつ耳にしても魅了されるお声を背中で聞いて。敵との間合いを均しておいでのその呼吸、自分のそれと重ねて揃え。自分は自分で正面に見据えた幾たりか、寄らば切るぞと牽制しつつ、まだ終わらぬ修羅場の緊迫、月光よりも褪めていて、なのにひりひりと痛い感覚を全身に浴びるという戦さ場の洗礼、依然として受け続ける七郎次だったりしたのである。





 都合、何十人を蹴倒したものだろか。背中を合わせての大立ち回り、これが本格的な白兵戦は初陣とは思えぬ見事さで、勘兵衛の負担になるどころか、しっかりと補佐役を勤め上げ。夜営地へと続く山肌沿いの路を堅守しての、襲い来た兵らを全てからげた大勝利、果たして七郎次はいつ自覚したものなやら。というのも、
「勘兵衛様っ。」
「七郎次殿っ。」
「副官殿っ!」
 夜営地の方を死守して、そちらへも躍り込んで来ていた急襲部隊を見事全員叩き伏せてから。残りの陣営を引き受けておいでだろうと見越して、隊長殿の向かった方へと遅ればせながら馳せ参じた部隊の面々は、

 「誰ぞ、副官殿へ水をやってはくれまいか。」

 さすがにとうとう失速したか、はあはあと荒い息をしている副官殿の。今にも足元の地べたへ頽れ落ちてしまいそうなほど、くったりしたその肢体。抱えてやっての腕へと凭れさせ、そちら様は至ってけろりとなされし、相も変わらず頼もしき隊長殿が仰せへと。はいと頷いて、苦笑混じりに差し出された水筒が1つ。栓を開けてやれば水の匂いで判ったものか、飛びつくように手を延べての口をつけると、ごくごくと喉を鳴らしての飲み尽くした青年だったが、

 「はあ…。」

 何ともかあいらしい吐息を1つ残してのそれから。畏れ多くも隊長殿の腕の中、そのまま すうっと、再びの眠りに取り込まれてしまった屈託のなさには、誰からともなくの苦笑が零れ、最年少だがそれでも頑張る、そんな副官殿が名実共に、勘兵衛様の供連れとしてすっかりと認められたその瞬間でもありました。






  ―― これは一体どういう巡り合わせなのだろか。
      丁度定期連絡のなかった晩に、
      向こうからこそ奇襲を仕掛けて来んとしていた敵であり。
      その鼻っ柱を見事叩いての壊滅に至らせ、
      事態に気づいて慌てて追って来られたらしき、
      自軍の本隊の到着を、敵陣の先端宿営地にて待ち受ける格好となり。
      島田部隊はまたしても、
      難しい任務にての戦勝の誉れを、みごと増やして見せたのでありました。



                                   続く


←BACK
TOPNEXT→***


  *先に書きました『雪月花』とか、
   大戦捏造ものの『ちょっと内緒の昔話』を下敷きにしております。
   実は、勘兵衛様が人を遠ざける原因となった過去話もないではないのですが、
   そっちは勘兵衛様以外は完全にオリキャラ出まくりの代物ですので、
   形にする予定はさらさらございませんで。
   それはともかく、
   シリアスなのだかコミカルなドタバタなのだか、
   相変わらず曖昧な話はこびですいませんです。


戻る